お正月に実家へ帰ると1枚のハガキ
高校を卒業し30年の節目に初めての同級会をしようと、そんな企画をしてくれた同級生からの手紙。
長野県なのか私が住む伊那市は9クラスあっても3年間中学も高校もクラス変えというシステムがないのてす。
だから3年間濃い時間を過ごした同級生
そんなみんなと久しぶりに会えること。
もちろん担任も3年間変わらないので大変お世話になった先生に会えることはとても楽しみでもあるのです。
がそれよりも
さんじゅうねんーーー!?!
心は20歳のままなのにもう30年も経過していることは分かっているけれど、改めて数字で見ると何とも。
そして次女がいよいよ成人式に向けて着物をレンタルしないと行けないのだと一緒に着物やさんへ。
ふりかえってみると自分の過ごしてきた30年
次女との18年
そしてこれから同じように歩む次女の30年
そんな事を考えながら楽しそうに着物を着る娘を眺めていました。
18歳で長野から飛び出し名古屋で一人暮らしを始め、学生、アルバイト、社会人、結婚して家庭を築いて。
以前仲間の葬儀に参列した時とてもステキな説法をされる住職さんがみえたのです。
『何よりの供養は皆さんが故人を思い出すことです。しかし平穏で幸せな記憶は人は思い出しにくく、嫌だった事、腹が立ったことそんな記憶は鮮明に残り振り返るとそれが良い記憶となるものです。たくさん耳元で故人の嫌だった事を話てあげてください。喜んで聞いています』
そんな説法で目からウロコとはこういうことじゃないかと思うほど、心に刺さった言葉。
私も幼少から48歳までを思い出してみると、自分自身のことも次女との時間も鮮明に出てくることは楽しい記憶より、衝撃的な出来事の記憶が多いこと。
母親と大喧嘩して顔を引っ叩かれたな
原付で事故をして大怪我したな
社会人となり叱られて廊下に立たされたな🤣
まだ幼少の次女がトイレに落ちて大変だったな
次女と取っ組み合いの喧嘩になり顔を引っかかれ傷が残ったなとかとか
平穏で幸せだなぁ〜
そんな記憶より強く鮮明に残る事件の数々
無難より難が有る『有難い』人生を
そんな言葉をよく耳にしますが確かにそうなのかも知れません。
何か困難があるたびに乗り越えるための努力や苦労をすることができて成長できて。
そして誰かの記憶に残れたり私の記憶にも強く残ったり。
人生の最期はいつ迎えるのはわかりませんがきっと思い出した時そんなことが多ければ多いほど『楽しい人生だったなー』と『後悔ないわ』
そんな風に感じられるんじゃないのかな

これから歩む次女の30年も私が歩むこの先の何年かも、そんな後悔をしない時間にしたいものです。
1日1日を大切に今日も楽しい時間を過ごしていきましょうね🥰
Saya