50歳に近づき、やはり身体は正直で特に一気に加速中の『老眼』
このネーミング
変えたらいいのにとつくづく思う
老いる視力
嫌な響きですけどビント調整をしている目の筋力や動きが低下することで、ピントが合わなくなってしまう現象
白内障とか緑内障、飛蚊症があるのに老眼って
ただ正式名は
老視
近視、遠視、老視
まぁどちらにしても嬉しくない響きですが、毎朝のブログは眼鏡をかけないと勘で打つ日々😂
ただ、私が50歳になると言うことは、親も良い年頃になっているということ。
もちろん同級生や先輩も同じように年齢を重ねていると言うこと。
だからなのか、やっぱり最近特に逢いたい人には会いたいと思いますし一緒に笑っていたい。
何が起きるかなんてわからなくて
『絶対に来年も元気で笑ってる』
こんな絶対なんてそれこそ絶対にありえない。
若い頃はそれが分からないから『絶対』があって親も友達も家族も。
ずっと傍で過ごせるものだと思っているのですが、この年齢になるとそうてはない現実を身を持って体験します。
経験しないとわからない事はたくさんなので仕方がないですが、やはり身を持って当たり前では無いことを痛感できる年齢なのかななんて思ったり。
もちろん自分自身も。
そう考えたら躊躇している時間はもったいなくて。
動きたいと感じますし時間を作りたいなと。
『親孝行 したい時には親はなし』
そんな古くからのことわざがある通り、ようやく落ち着いて考えられる年頃がきっとこの位の年齢でその頃には『絶対』が覆っているのだろうな。
逢いたい人
一緒に笑っていたい仲間
感動や苦労も共にしたい人
今日もそんな時間を大切に過ごしていきましょ🥰
Saya