最近私の周りでよく耳にする気になる言葉
『性善説』と『性悪説』
あまりそんな難しい言葉を気にして生きてきたことがなかったのですが、とても最近耳にする言葉の1つ。
『人はもともと人を思いやる心を持つ善から出発したもの』という性善説に対して
『人はもともと憎しみや争いなどから出発した悪である』という性悪説
という真逆の言葉なので、どっちが正論なのか?どっちを信じることが正しいのかを語り始めたらこれはとても難しいお話。
でもどちらにしても結論『結果』何じゃないかと思ったりします。
話は変わりますが、例えば『絶対に夏までに3キロ痩せます!』と宣言したとして。
本当に3キロ以上痩せたら、有言実行できる素晴らしい人✨
残念ながら2キロ痩せれたとしても、口ばっかりでやる気のない人😥
でもそもそも目標が『1.5キロ痩せます!』だったら前者になるわけですよね
その過程であったり難しくても挑戦しようと思った事はさて置き、結果がすべてのような現代の思考のように感じます。
でももし私だったら、その過程も認めてもらえたら嬉しいですし、自分の立てた目標をクリアーできなかった理由?言い訳を聞いて欲しいなあなんて😋
ここでまた『言い訳じゃん』となると何も言えなくなってしまうのですが…
だって人間ですもの。
常に何もかも完璧で有言実行できる事ばかりではないですもんと。
この性善説・性悪説ちゃんと読み込むと続きがあって、
『人は生まれつき善だけど、成長すると悪行を学ぶ』という性善説
『人は生まれつき悪だけど、成長すると善行を学ぶ』という性悪説、だと。
だからスタートが違うだけのことであって『人は善い事も悪い事もするよ』という意味にしか聞こえないんです。
だったら結局のところ、その過程をどう過ごすのかで結果が変わってくるのであれば、ゴールに向かっている途中をしっかり見てあげて一緒にゴールに向かって行くことのほうが大切なんじゃないかと。
ダイエットでもムキムキ腹筋、柔軟性をアップすることも。
仕事やスポーツの結果であっても、そもそも人間としても。
結果だけじゃなくてその途中や経過、成長しようとする気持ちを大事にしていかないとせっかく誰もが『善』に向かってるはずが『悪』になりかねないんじゃないのかなと考えたりします
何だか難しい話になってしまいましたが、どっちもどっちでそんな事を考えて生きていたら、やっぱり疲れてしまうので、その時感じた気持ちを大事にしたいなと感じます。
自分の気持ちを大切に🤗今日も素敵な1日を過ごしていきましょうね
Saya